「そもそも論」の発言で全てが破壊する可能性があることを知っているか
2015/09/08
Web制作は、実作業に入るまでのクライアントとの打合せ・ヒアリング工程に思いのほか時間を要する。
実作業とは「デザイン」や「コーディング」といったクリエイター達の能力を駆使する工程で、打合せ・ヒアリング工程は、主に制作担当者やディレクター、プランナーなどがサイトの制作方針や完成イメージ等をクライアントと共有するために費やされる。
その打合せ・ヒアリング工程において、内容が煮詰まってくると「アッチを立てればコッチが立たず」といった問題に遭遇することがある。
どれだけ策を練っても八方塞りで、解決策を見出せずに時間ばかりが経過していく状態は、誰にとっても気持ちの良いものではなくイライラが募る。
そんなとき、突然に「そもそも論」を投げかけられることがある。問題の解決策への思考が一気に方向転換する瞬間だ。
- そもそも何でこのプログラムが必要なんだっけ?
- そもそも何で外部APIに頼ったUIを構築するんだっけ?
など、「アナタが必要といったから」と言いたい気持ちをグッとこらえて「このプログラムは、アクセシビリティに配慮した仕掛けです」や「外部APIを使って情報周知のマルチ化を図っています」と返答するも、「その提案いらないんじゃない?」と切り替えされる。
それならそれで構わんが「もう一度、企画を練り直しますか?」となると表情が一変する。ここまで、時間をかけて決定してきたことが白紙に戻ることに気付き、自身の発言を恥じる瞬間だ。
このように機と我に返ってくれれば、一時的な思考脱線と受け止められるのでこれは問題ない。
しかし、白紙の戻ることに何の抵抗も持たない関係者もいるので要注意だ。
それは、制作チームのクリエイター達。
彼ら彼女らにとって制作は、自分のパフォーマンスを発揮する場であり、自身のスキルでそれを表現できるか否かがひとつの判断基準になっている場合が多く、問題解決の策が決まらなければそれは実行不可能と判断し、いちから考え直すことを厭わない。
ここまでくるのに、沢山の根回しと承認を得てきたクライアント担当者や責任者、ディレクター、プランナーは、白紙に戻されては困る人だけで会議が進んでいるわけではないということを理解しておくことが重要だ。
読了ありがとうございました。