インターネットの世界に魅了されたディレクターの思い出|その2_阻害されない情報公開
前回はパソコン(デジタル)の世界に足を踏み入れたところまでの話しをしましたが、如何でしたでしょうか?
Windows95の発表から20年が経つわけですから、そうとう昔の話ですね…。
当時はパソコンで作ったものは出力(印刷)してはじめて人の目に触れ、それを成果物とすることができた時代で、作成したデータはあくまで成果物の副産物として扱われていました。
だから、大量に成果物を発進しようとすれば大量の印刷が必要になり、印刷会社へそれをお願いすることは半ば当然のフローだった。印刷会社へ作業を依頼するとなると、当然自身だけで制作が完了せず、相手との整合(取り決め)を行うことになります。(使うフォントやOSのバージョン、ソフトのバージョンとフォーマットなど。。。)
このフローが当然の流れであったから、当時の印刷会社は環境構築に関しては「ウチの指定環境に従わなければ印刷しないぞ!」感がハンパなかった。(環境に相違があれば「印刷トラブル」のため印刷できないのだが、なぜか命令するような上から目線の応対が多かったんですよね~)
そんな当時は、印刷会社の指示を守らなければデリバリーができず、パソコンというハコからアウトプットできないという不自由な状態だった。
印刷会社の指示を守るというのは結構大変なことで、印刷会社のもっているフォント(当時はポストスクリプト)以外の情報があればトラブルになるし、QuakrXpress入稿であればバージョンが違うだけでエラーになる。Illustratorもそう。
また、モニターと印刷時での色味が違うなど、環境を合わせるといっても莫大な費用がかかる。色味の調整は、その都度費用が発生する。それを回避するために行う色校正は、そもそも高額な工程だ。
自分の頭からアウトプットすることに喜びを感じたのも束の間、こんどはパソコンからのアウトプットが課題として現れた。
印刷トラブルのために、データを徹夜で修正したなんてこともあった。
印刷会社が変わればこのトラブルはあたり前の様に発生し、変更しなくてもバージョンを変えたとかなんだとか、トラブルが解消されることはない…。
情報発信することがこんなにもストレスになるなんて…
そんなときに出会ったのがHTMLやFlashでした。
Flashは、今ではインタラクティブコンテンツの制作ソフトとして有名ですが、当時はまだアニメーション作成ソフトとしての位置付けが強いソフトでした。
インターネットでは、Flashクリエイターの作成したアニメーションが溢れ、次々にアイディアの膨らみを感じたことを思い出します。
誰にも干渉されない情報発信に私の心が奪われたのはいうまでもありません。
だれにも縛られず、自分のアイディアを世に出せる!
これが、私にとって第2段階の世界へと足を運んだ瞬間でもあった。
Flashを独学で学び(当時はFlash3だったか4だったかな?)、アニメーションを作成しそれをインターネットに公開する。
印刷会社からの「環境が違うため印刷できません。データを作りなおしてください」といった問題に嫌気が差していた自分にとって、この情報発信の手段を手に入れたことは、とても大きな出来事でした。
その後….は、また次の投稿で…。読了ありがとうございました。