デザイン費について考える|デザインの対価はクオリティや労力ではなく「価値」で決める
2015/09/20
人を使えばそこに費用が発生するわけですが、デザインの考案工程は、そのアウトプットにどれだけの人が動き、どれだけの時間が掛かっているか不透明です。
だから、そこに掛かる費用が「高い」とか「安い」などという価値観の相違が生まれるのでしょうが、このような考え方をする人はデザイン制作に掛かる費用について考え方を改めたほうがよいでしょう。
デザインとは「人の作業」と考えるから履き違える
作業には「機械が自動的」に行うものと「人の労働」によって行うものの2通り存在するが、デザインの考案は後者によって生み出される作業にあたります。
例えば、工場などのライン作業において20時間働けば、そのラインでは生産計画に基づいた製品(商品)はほぼ確実に完成します。しかし、デザイン考案という作業はそうは行きません。20時間考えたからといって良いものがアウトプットできるとは限らないし、たった20分で閃いたデザインが最高の評価を浴びることもあります。
この、時間と比例しない成果物のクオリティが、人の価値観において「高い」「安い」を惑わせるコトにつながっているのです。
また、りんご一個○○円だから「高い」とか、このスペックのパソコンが○○円だから「安い」など、世間相場に対して「高い」「安い」と判断する思考がデザインに対する価値観の歪みともなっています。
そもそもデザイン制作に関する費用が、その成果物のクオリティや、かかった時間の費用という考え方が間違っているのです。
そのデザインを「いくらで手にした」かという価値観で費用を決めるべき
人は「無料」で手に入れたモノに対して(それが大切な人からの贈り物や、譲り受けたものであれば話しは別だが、)粗末に扱う傾向にあるります。
なぜならば、モノを大事にするという人の行動には「金銭をどれだけ掛けたか」という深層心理が働いているからです。
金銭とは、社会から評価されたその人や企業の「価値」を示したもので、デザインに支払う費用とは、その評価された「価値」のうちどれだけの分量を割り振るかということ。
要は、アナタの価値の何%を支払ってそのデザインを手にしたのかという自身の満足感や特別感が重要なのであって、成果物のクオリティやそれに費やした時間は、その価値を装飾する要素でしかないということなです。
読了ありがとうございました。