情報リテラシー教育の必要性について ─ インターネットが社会に与えた影響を考える ─
2015/11/18
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今日まで、日本社会においてのインターネットのネガティブな事件や問題は、あらゆるメディアで取り上げられ「リスク」と「課題」が報道されてきました。その問題は年々深刻になってきており、昨今ではスマートフォンの普及によってそのリスクがより低年齢化しています。
報道の内容は多岐に渡っており、「いじめ」や「誹謗中傷」などに心を痛める様や、「詐欺」や「偽造」などのツールとして悪用された事例など、様々な問題が赤裸々に発信されています。
インターネット創世期は「ある特定のマニアのモノ」という見方が大半を占めていました。
しかし、2000年以降は様々な企業がインターネットを「新たな宣伝媒体」と位置づけたことで、メディアとして大衆に認知され定着していきました。
2006年を過ぎるころになると、国内でも新たなメディアとしてSNS(ソーシャルネットワークサービス)がユーザーを一気に増やし、新しい情報の保管場所としてはクラウドコンピューティングが活用されるようになりました。
また、近年ではLINE等の若者をターゲットにしたコミュニケーションツールの普及により、幅広い年代がインターネットを利用するようになっています。
このインターネットの爆発的な普及は、ハードウェアやソフトウェアの進化だけでなく、それらをつなげるインフラの整備、技術の進歩が大きく関わっています。
しかしながら、このインターネットを利用するユーザー(人)のリテラシー(常識/意識)は、技術の発展とは裏腹に「ほとんど進歩していない?」と感じています。
気軽に使用できるようになったからこそ普及したインターネットでありますが、インターネット創世記の問題は未だに解決されず存在しています。
それどころか、あまりにも一般に普及したスピードが速すぎてリテラシー教育が追いつかず「モラル」の低いユーザーの拡大が目立ちます。
その問題の歯止めとなっている背景には、利用しているサービスの技術的な進化(ソフトウェアの技術的なリスク対策ポリシー(システム的な処理)の恩恵)を受けているにすぎず、それらを利用したとしてもユーザーが間違った操作(ワンクリック)をするだけで「大きな凶器となって個々に襲いかかってくる」リスクは常に存在しています。
万能なシステムによって無意識に活用できる時代ではありますが、我々は、そのシステムの恩恵に寄りかかっているだけで良いのでしょうか?
これからは、生まれたときからインターネットが存在し、情報を当たり前のように手にすることができる「インターネット・ネイティブ世代」の時代に突入します。
システム的な技術の導入で「インターネットの問題と課題」を解決することを願うだけではなく、それを使う「人」のリテラシー教育を充実させ、健全なインターネット文化を構築していく必要があると考えています。
読了ありがとうございました。