正しい情報など要らない!無駄な会話を楽しむべき理由
2015/09/08
昨今ではスマートフォンの普及により、ネットに触れない日は無いと言っていいほど、普段の生活においてインターネットが欠かせないツールとなっています。
そんな現代において、度々「どうしてそこでネットに入るの!?」とアタマを傾けたくなる人を見かけます。
例えば、気の合う仲間とのちょっとした雑談の一幕で、うろ覚えの情報ながら、それについての様々な意見と憶測などが飛び交い、各方向へ話しが飛び交い脱線しながらも、多彩な意見で会話が弾んでいる時に情報源の正確性を求めネットに入る人…。
その情報の正確性が絶対的に必要というわけではありませんから!
また数時間から数日の後に、「先の話の中であった正確な情報は○○だから、話していたことはあまり的を得ていなかったようだよ」など、その話しはもうだれも覚えてませんから!!
こんな場面、スマホの普及と共に皆さんの周りに増えていませんか?
それが正しい情報かどうかなどは2の次、3の次。
他愛もない話を集まった仲間達で話しができればよいのです。
なぜ、そんなにも正確さや正しさを求める必要があるのだろう?
例え会話が無駄になろうとも、その無駄な会話からその人と成りが見え、お互いを理解し合える間柄となることができるのに…。
そんなことよりも、情報の正確性が重要だというのか?
ネットはたいへん便利なテクノロジーだ。
これによって様々な課題や問題が解決できたし、これからもさらに大きな問題を解決することができるのだろう。
しかし、人と人とのコミュニケーションの場において、必ずしもこのテクノロジーが必要ではない。
ときに無駄だと思うことが人のつながりを強くすることもある。
いくら時代が進み、テクノロジーが進化したとしても、人と人とのコミュニケーションは時間と空間を共有し、そこで発せられる言葉と表情が交じり合った雰囲気を感じることが大切なのだ。
情報が正しくなくても、発する言葉が多少違っていても構わない。
そんなことに神経をすり減らすのではなく、他愛もない話で笑い合い、心を通わせたいものですね。
読了ありがとうございました。